2020年09月25日
嬉野茶について その2
福岡県と佐賀県の県境にある標高1054mある脊振山(せふりやま)の霊仙寺跡付近には茶業先覚者として供えられている栄西禅師(1141年5月27日 -1215年8月1日)が日本で初めて栽培した地として発祥地とされています。山岳仏教の修験場として開山した霊仙寺で建久2年 (1191年) に中国より茶の種を持ち帰ったことで知られています。時は流れ江戸時代初期に吉村新兵衛(1603-1657)という藩主がおり、佐賀初代藩主に仕え、番所で警備に当たっていました。落ち度があり1650(慶安3)年切腹を言い渡されたが父の戦功などによって一命を助けられました。その後後世に貢献しようと決心し茶樹の栽培・製法を研究し嬉野茶を創始し嬉野の不動山の山林を開拓して茶樹の栽培を奨めたことで、「嬉野茶の茶祖」として讃えられています。残念ながら1657(明暦3)年自刃殉死されてしまいましたが、新兵衛が植えた茶樹の一本と言われる不動山の大茶樹は国の天然記念物に指定され、茶業関係や有志らにより功績を讃えられています。吉村新兵衛については小川誠二が出版した『小川八重子の常茶の世界』にも出てきています。また脊振山は松下智先生がヤマチャの研究で幾度か足を運ばれており著書で記されています。