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2020年05月14日

常茶の世界について その2

『小川八重子の常茶の世界』に出てくる常茶(じょうちゃ)というのは、日常茶飯事に日頃毎日飲むお茶という意味で、この本の著作者小川誠二氏が生み出した言葉です。1975年に『暮らしの茶』という本を出版した際に生まれたと語っています。『常茶の世界』の中ではさらに以下のように綴られています。
 「日常茶飯」という言葉は「とりたてて問題にすることでもない、当たり前のこと」と使われていますが、考えてみると、茶と飯は、空気や水と同じように格別の存在を意識しないけれど、常時身辺にあって私たちの生を支えているものであることの証左といえるかもしれません。しかし「お茶」というと、現在では玉露や煎茶がもてはやされています。逆に番茶は、「どうでもいい安物のお茶」という扱いがされています。玉露や煎茶は、礼法茶です。これは、味わうためにあるほんの少し飲むお茶。日常ガブガブ飲むためのお茶ではないし、また、たくさん、飲めるものではありません。
その土地土地で古くから伝承された独特の製法、すなわち、蒸す・煮る・炒る・干す・漬ける、といったそれぞれのやり方でお茶を作り、人々は日常なくてはならぬ飲みものとして親しんできたものでしょう。土地によって、香り、味ともにさまざまで、最初は飲みづらいなど思うお茶もないではありませんでしたが、馴れると、煮豆・干し柿・そばがき・芋など、自家製の食べものをつまみながら、何杯でもおかわりするようになりました。昔ながらの香りのお茶をもとめて、私ハジプシーの如く、私用に作ったコンパクトな製茶道具をかかえて、いろいろな処へお茶を作りに行きました。

さらに、『茶に貞く』という出版本の中では、こうも綴られています。
茶は味わうものでガブガブ飲むものではないといわれることもありました。おもてなしの茶、セレモニーの茶、茶道の茶、そんな茶はなるほど、ガブガブ飲むものではないかもしれません。しかし、人々が日常生活のなかで渇きをいやし体調を整えるために、またくつろぎの場で飲むお茶は決して、「一口すすって」というものではないはずです。食物に常食があり、衣服に普段着があるように、茶にもおもてなしの茶と常茶があるのです。

熊本で生まれた小川誠二氏は九州の釜炒り茶を研究した後、川根茶の香気成分に惚れて島田に移り住んだと語っています。
私も小さいころからほとんど毎日晩御飯の後は皆でお茶をすすって飲んでいました。常茶を味わっていたと思います。まだペットボトルが開発される前であり、急須を使っておりました。今でもペットボトルの茶を飲むのは外出する時などたまに飲む程度で家にいるときはほとんど急須かガラス瓶を使って飲んでいます。釜炒り茶に出会ったのは柴本氏と出会ってからなのでごく最近ではありますが、それはともあれ、お茶を飲むというのは一昔前では日常ではなかったのではないでしょうか。現在コロナで家でくつろいでいるときこそ、ひといきお茶を飲むのもありだと思います。


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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 23:55│Comments(0)お茶紀行
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