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2017年09月15日

三方原の開拓

浜松市内には三方原という広大な大地があります。戦国時代に武田軍と徳川軍が争った三方原の戦いで知られており、様々な石碑や跡地が残されています。明治に入り、三方原は開拓されていきました。その開拓を築いたのが気賀林(きがりん)(1810~1883)です。引佐郡気賀(浜松市北区細江町気賀)で気賀家の養子として生まれた後、1871年(明治4年)に自らを気賀林と改名し、1875年(明治8年)に三方原に移り住み茶園を造成されました。100haもの茶園を所有し、100町歩から「百里園」と称されました。緑茶のほか、紅茶や烏龍茶などがつくられ、外国向けの輸出に業績を広めていきました。気賀の死後、横田保(1831‐1901)に譲渡され、姫街道などの道路の開拓や落花生などの栽培、化学肥料の研究もして発展を遂げていったのだが、明治30年以降、次第に経営不振となり、横田の死翌年の1902年(明治35年)に工場が閉鎖されてしまいました。かつては一面が茶園だったのが今では僅かにある程度です。その跡地は今でも残っていて、「百里園」というバス停も残されています。国道257号線沿いの静岡県道65号浜松環状線を北に数百メートル向かったところにあります。
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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 04:42│Comments(0)お茶紀行
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