2025年02月18日
清水の茶について その3杉山彦三郎
茶の品種の中で7割以上を占めているのがやぶきたですが、その生みの親杉山彦三郎(1857 - 1941)が生まれたのが清水です。現在のJR草薙駅周辺に位置する安倍郡有度村に生まれた杉山彦三郎は自ら山林原野を開拓し、20歳までに3haもの茶園を造成されたとのことです。当時はまだ製茶の機械がなく、自ら手摘みをし自ら揉んでいたそうです。しかし技術に困った彦三郎は国産紅茶の祖多田元吉(1829‐1896)のもとで製造を学び、茶師を招いては製茶伝習所を造ったとされています。品種改良に磨きをかけ、明治25(1892)年に初めて「晩一号」という品種を世に送り出し、明治41 (1908)年にあの「やぶきた」を世に送り出しました。「やぶきた」は、静岡市谷田にある試験地に隣接した中林という地区での竹薮を開墾して播種した茶園の中にありました。北側のものを「やぶきた」南側のものを「やぶみなみ」と命名されました。早・中・晩生の区別を見分け近隣農家の青年を指導しながら品種試験に励み、また埼玉や九州など全国の至る茶樹に出会い採集し持ちかえって試験地に栽培、苗木生産や品種選定にあたりました。生涯100種もの品種を世に送り出しました。杉山彦三郎の顕彰碑やぶきた原樹は県立美術館の北側入口にあります。