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2022年12月08日

鎌倉殿と茶の関係

大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」がクライマックスを迎えていますが、その鎌倉殿と茶の関係性についてを調べてみました。鎌倉殿と直接の関係性はありませんでしたが、現在鎌倉殿で中心的な役割とされている北条義時(1163-1224)の子孫で分家された金沢氏から茶のエピソードの話があります。鎌倉時代の僧侶叡尊(えいそん 1201-1290)は京都で出家され奈良の寺院などで信仰されていましたが、1252(建長4)年頃関東に向かいました。その後鎌倉に拠点を置き、1262(弘長2)年に金沢流北条氏で義時の孫にあたる北条実時(1224-1276)の招請により鎌倉に下向し約8カ月間受戒されました。叡尊の自伝である『感身学正記』に記述されています。また、この記録は『関東往還記』という日記にも著述されています。これによると「一行が茶を点てて飲んだというのであれば、せいぜい「茶を喫す」でよいと思われ、誰かのために茶を特別に用意し、(中略)非人乞食をふくむ庶民の教化、授戒の方便として、薬としての茶すなわち儲茶を施した」とされています。叡尊はこの1年前の1261(弘長元)年には鎌倉にある極楽寺で抹茶を施薬として大量に用いられたといわれています。当時鎌倉でも茶の栽培がおこなわれていました。また、北条実時によって設けられた横浜にある金沢文庫で残された古文書には「京都の栂尾の茶をいただき秘蔵いたした」書かれています。
次第に鎌倉幕府の貴族や武家、寺院などの間に喫茶が普及するようになっていきました。


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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 09:28│Comments(0)お茶紀行
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