2018年11月28日
伊久美の茶と坂本藤吉
江戸時代から茶の生産が盛んだった地域のひとつに島田市伊久美(いくみ)が挙げられます。ここは島田市の北部に位置し川根町(現島田市)に通じる集落地域です。ここには坂本家という当主が住んでいて、1615(元和元)年に坂本藤右衛門が良質の茶の種子を求めに宇治まで出向き、伊久美に戻り播種したと伝えられています。ここからあ伊久美に茶の栽培が始まったとされています。伊久美川に沿って少しばかりあるだけの山間地で主要な農産物として茶を売って年貢が納められていきました。それから数百年時が流れ、子孫の坂本藤吉(1798(寛政10)年⁻1839(天保10)年)が誕生します。彼は山城国宇治(現京都府宇治市)に出向き宇治茶の製法を学ぶと茶師を招いて玉露や抹茶を製法を伝習させました。こうした製法の改良にうよって川根茶の発展へとつながっていくことになるのです。そして、以前に茶一件の話をしたのですが、文政の茶一件で坂本藤吉は被告となってしまったのです。伊久美では在方荷主たちの一部に不正を働いた疑いで数名の百姓も被告とされたのですが、結局証拠不十分となり無実となりました。このように藤吉は地元の生産者たちに訴えられてしまったわけですが、、流通の上で、生産者が最も優位に立てるための方策として高く売れる茶を作ることをめざしていったことが伺え知れます。藤吉の死後、彼の死を継いだ西野平四郎が志太郡瀬戸谷村(現藤枝市瀬戸ノ谷)に伝習所を開設しました。さらに西野は1854(安政元)年に江戸神田に茶販売の営業所を開設すると1859(安政6)年にはアメリカに茶を輸出し1880(明治13)年には三井物産会社と共同で茶のアメリカ向け直輸出を手掛け、翌1881(明治14)年貿易に必要な為替決済の出来る金融機関・伊久美物産会社を設立しました。この建物は現存しており地域住民に利用されています。今は伊久美地区の公民館となっていますが、この地域では茶業は今でも継続されています。坂本は島田~川根、島田~藤枝へと近代茶業の発展を担ってきた重要な人物といえます。1924(大正13)年、皇太子ご成婚の記念事業として「製茶元祖坂本藤吉頌徳碑」が建てられました。また静岡市中心街にある浅間神社にも「阪本藤吉製茶之碑」が建てられています。
Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 01:59│Comments(0)
│お茶紀行