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2024年12月28日

藤江勝太郎 その4

先にも述べたが、19世紀末から日本緑茶の輸入が低迷し始めていきました。背景にはアメリカの条例による制限や紅茶のニーズを求める声が多く次第に緑茶に代わって紅茶の消費が増えてきたことです。1910年代には輸入量が緑茶を上回り大きく後退していってしまっています。藤江の父新蔵は1872~73年頃から横浜で製茶貿易業を営んたできましたが数年で事業に失敗し森町へ戻ってきました。
さて勝太郎は1910年に日本台湾茶株式会社を設立したが長続きはしませんでした。生産が振るわず1年で会社を去り帰国したとのことです。その後1915(大正4)年から1928(昭和3)年まで森町の名誉町長に就任し、静岡県や森町の茶業組合にも就任するなど故郷地域の発展に尽力をされました。写真は町並みと蔵展で藤江勝太郎の生家の模様です。 
藤江勝太郎 その4

また、藤江勝太郎の生涯について森町がPRされた動画もご覧下さい。



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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 09:34│Comments(0)お茶全般お茶紀行
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