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2023年11月13日

狭山茶について その4

幕末になり日本の緑茶は全国各地で生産・製造されるようになって1858(安政5)年に安政五カ国条約がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダと結ばれると函館・神戸・横浜・長崎・新潟の5港の開港を取り決めました。翌1859(安政6)年から緑茶は重要な日本の輸出品として海外へ送られていきました。狭山茶も八王子を経て横浜に運ばれ、北米などに輸出されるようになりました。明治になり1875(明治8)年には入間市近在の有力茶業者によって「狭山会社」が設立され、間業者を通さない直輸出業務や、製茶業者の保護育成が施されました。そして狭山茶の名称に統一しました。その後、村々には製茶伝習所も開設され、大正時代後期になると機械製茶が始まり、1928(昭和3)年には埼玉県立茶業研究所が設置されて、近代、現代へと茶業が転換していきました。
 さてその1の冒頭で述べましたが狭山茶は埼玉県内産及び埼玉県に隣接する東京都西部地域産の荒茶を100%使用した茶です。入間市・所沢市・狭山市・飯能市・日高市・鶴ヶ島市・川越市・東松山市・坂戸市・ふじみ野市・三芳町などの埼玉県西部地域からさいたま市大宮区・上尾市・春日部市・新座市・志木市・蓮田市・久喜市・白岡市などの県東部地域、秩父市周辺の地域、それに瑞穂町、武蔵村山市、東村山市、東大和市、青梅市などの多摩北部地域を占めています。多摩北部地域は別称東京狭山茶といわれ、狭山茶とは別ブランド化されています。これは埼玉県産のものと区別するために東京都産としての茶として1964(昭和39)年頃にそう呼ばれるようになったとのことです。2008年には東京の国産紅茶として「東京紅茶」が生み出されています。さて、狭山茶の産地はほとんどが狭山丘陵にあります。狭山丘陵は埼玉県と東京都の都県境に東西11km、南北4kmの総面積約3,500ha(≒35㎢)となっていて埼玉県所沢市・入間市と、東京都東村山市・東大和市・武蔵村山市・瑞穂町が含まれています。 その5へつづく


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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 23:10│Comments(0)お茶全般お茶紀行
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