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2023年11月11日

狭山茶について その3

 赤岩茶は下総国下河辺荘(しもこうべのしょう)で生産されたお茶で、現在でいう埼玉県東部の松伏町・吉川市周辺で生産された茶だといわれています。南北朝時代に赤岩茶十斤(6kg)が毎年称名寺(神奈川県横浜市金沢区)に納められていたことが『金沢文庫古文書』に記されています。この赤岩茶は茨城県西部で茶が盛んな猿島茶(さしまちゃ)にゆかりがあるとされます。
 さて江戸時代にはいると永谷宗円(1681⁻1778)が蒸し製法が考案されます。(宇治茶その2参照)同時代に狭山丘陵の北麓に位置する二本木村西久保(現在の入間市宮寺)に生まれた吉川温恭(よしかわよしずみ 1767⁻1846)という百姓と二本木村の隣に位置する坊村(現在の東京都瑞穂町)生まれの剣客村野盛政(むらの もりまさ1764⁻1819)は狭山丘陵で偶然見つけたチャの葉で茶を作り、江戸で販売しようと試みたといいます。吉川は本格的な「蒸し製煎茶」の製造を目指して京都や滋賀を視察し技術を習得しました。1816(文化13)年、自分達が作った茶を江戸の茶商山本山へ贈ったところこのお茶は絶賛され、1819(文政2)年には山本山をはじめとする江戸の茶問屋と本格的な取引を交わしました。こうして関東で初の「蒸し製煎茶」の産地が誕生されました。これは「河越茶」が焼き討ちにあって衰退してから百年数百年間にわたって廃れていたこの地の茶作りが復興したことになります。そうした茶作り復興の記念碑「重闢茶場碑」が入間市宮寺にある出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)に建てられました。吉川の技術によって生み出された狭山火入れ技法は特有の濃厚な甘味を得ることができ、現在の狭山茶につながっています。 


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Posted by あ~茶ん@EcoGreenTea at 04:24│Comments(0)お茶全般お茶紀行
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