牧之原開墾と丸尾文六

あ~茶ん@EcoGreenTea

2021年11月22日 02:08


 牧之原開拓から150周年を記念して御前崎市池新田にある丸尾記念会館で丸尾文六(1832-1896)の企画展が開催されています。それに合わせて11月28日㈯と29日㈰にお茶会が披露されます。(お茶代400円)なお講演会はすでに募集が終了しています。お茶会の方はコースによって満席となっているところもあります。企画展は12月19日㈰まで行われますが、丸尾記念館は土日のみの開館となっています。詳しくは記念館のホームページ https://www.city.omaezaki.shizuoka.jp/soshiki/shakaikyoiku/bunka/bunkashisetsu/maruokinenkan.html をご覧ください。お問い合わせは御前崎市役所社会教育課にてご確認ください。
 牧之原開拓については中条景昭(1827-1896)や今井信郎(1841-1918)、初代知事関口隆吉(1836-1889)などが開拓に功労してきましたが、茶業に貢献されてきたのは丸尾文六と原崎源作(1858~1947)であるといえます。なおこの二人の共通は富士製茶(菊川赤レンガ倉庫)にあります。丸尾文六は豪農家と伝えられていますが、実業家でもあり政治家でもあります。1832(天保3)年に池新田に生まれた丸尾は幼いころから学問を好み教育にも力を注いで二宮尊徳(1787-1856)の報徳思想を受けた大日本報徳社を近隣の同士で結成されています。開拓の貢献に大きく促したのが川越人足の救済です。明治に入り川越制度が廃止されたことによって行き場を失った士族らに物資や資金を渡して開墾にあたらせました。重労働で多くの氏族が去っていく中で1873(明治6)年に初めての摘採、製茶が実施されると2年後の1875(明治8)年に茶部屋を創設し、翌1876(明治9)年には製茶場が建設され1879(明治12)年には横浜で開催された第1回製茶共進会に出品、見事一等を獲得されその後も一等賞に君臨されていきました。こうして牧之原は茶業地帯の基盤を支える存在となりました。また海外の輸出にも貢献されており、物産会社や汽船会社を設立、静岡県茶業組合取締所の総括や静岡県茶業組合連合会の議長にも歴任されています。1883(明治16)年に横浜の貿易会社「謙光社」の社長となるとアメリカのサンフランシスコに茶や雑貨を出店、販売されました。後に原崎源作との富士製茶会社(富士合資会社)と合併されました。他方で丸尾は自由民権運動にも携わると地方政界にも君臨、金融機関の創設や教育の向上を図りました。政党の結成に動くと1890(明治23)年の第一回衆議院議員選挙に当選、第4回衆議院議員総選挙に当選した2年後の1896(明治25)年に病気で死去されました。牧之原台地には”丸尾原”と命名された場所があり、近くには祭神として祀られています。また、ふじのくに茶の都ミュージアムにあるカフェレストラン丸尾原は元来グリンピア牧之原の近くにあった祭神が祀られている神社の場所から取ったものです。
企画展が行われる丸尾記念館についてですが、丸尾文六の弟徳三郎(1844-1880)が江戸末期に建てられたのが最初でその後移築、修復され記念館として2003(平成15)年6月開館されました。徳三郎の孫娘婿で御前崎市名誉市民である丸尾謙二(1900‐1972)は記念館の隣にある池新田農学校(現静岡県立池新田高等学校)の設立と初代校長を務めており、丸尾文六の娘婿の丸尾鎌三郎(1856‐?)は、旧池新田村の村長などを歴任されています。文六の曾孫の水野成夫氏(1899⁻1972)はフジテレビジョンの初代社長を経て産業経済新聞社の社長を歴任、その子の水野誠一氏(1946⁻ )も元参議院議員で日本リトアニア友好協会会長に勤めていることから資産家を受け継いで全国に幅広い影響を残されています。

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