百年前の茶業
イギリスのエリザベス女王が96歳で亡くなりました。英国史上最も長く王位に君臨されイギリス国内だけでなく世界中で愛され讃えられてきた人物だといえます。女王が生まれた1926年は日本だと大正から昭和に移った時代です。
はさみ摘みが中心となった摘採の一方で山間地ではまだ
手摘みでした。蒸し機や粗揉機といった製茶機械が導入されていき各地で茶業組合が生まれてそこで製茶が普及されていった時代だといえます。
近年生産が徐々に減ってきており特に山間地域では廃業したり手放したりするところが増えていっているのが現状です。しかし当時は山間地域においては活発でありました。江戸時代以前から宇治の茶園では多くの出稼ぎに女性が来て製茶に携わっていたことがわかっています。歌川広重(1842~1894)の「宇治茶製之図」で表現されています。明治に入りると宇治だけでなく九州や三重、静岡の山地からもそれぞれ平野部から産地へ茶摘みに出稼ぎへきていることも伝えられています。茶山唄を歌いながら茶摘みに従事したとのこと。あの「夏も近づく
八十八夜」のフレーズで知られる茶摘み唄は宇治の新茶(八十八夜)に訪れるこの情景をあらわした様でおそらくこの唄も口ずさんでいただろうとされています。次第に両手摘み講習会を開催されるようになって女子青年団などが誕生し、茶の品質向上へ多くの生産がなされる工夫が行われていきました。しかしながら戦時下になると荒廃が進み生産が滞ってしまいます。戦後になっ再び茶業が復興し始めますが次第に機械刈りの開発などによって女性の出稼ぎは徐々に減っていきました。
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