清水の茶について その4 清水港

あ~茶ん@EcoGreenTea

2025年02月20日 20:31

日本の緑茶が全国各地で生産・製造されるようになったのは幕末になってからです。安政5(1858)年に日本はアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・オランダと通商条約である安政五カ国条約を結ばれると、函館・神戸・横浜・長崎・新潟の5港の開港を取り決められ多くの緑茶が海外へ輸出されました。明治32(1899)年に清水港が、外国との貿易に使用される開港場に指定されると当初横浜にあった再製工場を静岡に誘致し明治36(1906)年清水港が寄港され直輸出が行われるようになりました。外国商社が続々と静岡へ支店を開設されると、静岡の茶はここから海外への輸出拠点となりました。こうした活躍は清水次郎長(1820-1893)や海野孝三郎(1852~1927)らの功績によって繁栄されていきました。

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