茶の起源と伝説 その2
茶に関する書籍は紀元前の古くから記されていました。紀元前1世紀ごろの前漢の時代に”使用人(僮)が武陽(四川省・眉山茶の産地)で荼を買い荼を烹(に)た”という文章が書かれています。「荼」は「茶」の原型でありこの頃には喫茶の風習があったことが伺えられます。また、中国最古の薬物学書とされる『神農本草経』という本が後漢から三国(1世紀から3世紀ごろ)にかけて成立されています。まず、神農というのは中国古代の伝説上の人物といわれており、紀元前3000年頃、神農が即位し初代炎帝となったとされ、茶の栽培を発明したとされています。神農は医療と農耕の知識を古代の人々に広めた存在であると伝承されています。木材をつかって農具をつくり、土地を耕作して五穀の種をまき、農耕をすることを人々に伝えたほか、薬となる植物の効用を知らせたと伝えられています。『神農本草経』には365種の薬物を上品・中品・下品(上薬・中薬・下薬)に分類され、それぞれ上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬と扱われています。この中で「神農嘗百草、日遇七十二毒、得荼而解之」と書かれており、おそらく神農は、百の草を自分で舐め、一日に72もの毒にあたったが、これを茶で解毒したとされています。ただこれは逸話であり、実際には定かではありません。「荼」が「苦菜」つまり菜類であるものであるともいわれていますが、後に陸羽(? - 804年)の『茶経』に受け継がれていくことになります。お茶は薬として漢方に用いられていたことが知れ渡っていることが捉えられます。
関連記事