藤江勝太郎 その2
藤江勝太郎は1887(明治21)年から88(明治22)年にかけて製茶を学びに中国や台湾に出向きました。そして帰国後、烏龍茶の伝書所(学校)を作り教師に任命されたのでありました。全国から茶業者が集まったとされています。翌89(明治23)年には森町に日本烏龍紅茶会社を設立させ欧米に日本で製造された烏龍茶や紅茶の輸出を行いました。さらには藤江が私財を投じて烏龍茶品評会を開催させ、博覧会でも受賞されるなどし海外からの評価の功績を得ました。また、93(明治27)年には明治天皇皇室に紅茶を献上されております。この一連の動きが「日本烏龍茶の粗」の活動といえます。 つづく
関連記事