煎茶道について その2
隠元(1592-1673)の死後から18世紀に至るまで「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まっていきました。隠元開山の宗派黄檗宗(おうばくしゅう)の僧侶の売茶翁(ばいさおう1675(延宝3) -1763(宝暦13))は60歳を過ぎた頃僧侶を辞め、自らの茶道具を持ち出して京都で通仙亭という名で茶席を設け客に煎茶をもてなしたとされています。自らを「高遊外」と称し周りからは「
売茶翁」と呼ばれ81歳になるまで喫茶する為の煎茶を売り続けていたといいます。中国文化の精神の気高さを表す風流を重んじ茶を楽しむという交流で、茶の湯の世界に反発心を抱いたものでした。その後売茶翁は廃業しますが、売茶翁の死後もこうした煎茶のスタイルは上層階級から庶民にまで広まっていき伊藤若沖(1716-1800)や与謝蕪村(1716-1784)らにも影響されていっています。
関連記事